平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

ちょっと記事にするのが遅すぎではありますが、やはりこの大災害には触れずにはおけませんね。ここ数日の情報ソースはほぼNHKとなっている事からすっかり「東北関東大震災」の名前が通り名になっていますが、一番大きかったあのM9の地震は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と言う名前です。

あれから5日程が経ちましたが、まだまだ残した傷跡は大きく地震もなかなか収まらない感じですね。 昨日は全く関係ないとは言いますが、静岡内陸でも地震がありました。さて、上記のGoogle Earthの図は、今日までの1週間の地震を表しています。丸の大きさは地震の大きさ、橙色は今日発生した地震、赤いのはこの1時間で起きた地震(19時頃です)そして一番多い黄色いのがこの1週間の地震です。前兆を含めてこの1週間で東日本でこれだけの地震が起きたと言う事になります。もの凄いですね。この図を作成したプラグインはこちらです

70cmも沈降した地盤はどうするのか、原子力発電所はどうするのか、東海の地震は本当に大丈夫なのか、今時期はともかく夏の電力需要は乗り切れるのか、etcetc…気になる事だらけですが、皆さんで力を合わせて復興して行ければと思います。

以下はボクの金曜日の動きの備忘録的なものですので読み飛ばしていただいて構わないです。

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分に三陸沖130km付近で発生したこの大地震、発生時はまぁ金曜の昼間ですから週末午後の仕事をこなしておりました。仕事中に「揺れてる!」との同僚の声に揺れに気づきました。最初はゆっくりした横揺れです。もっともビルの11階なのでほんとにゆっくりした感じの揺れです。しばらくして落ち着いたかな?と思ってちょっとほっとした顔を同僚と見合わせた後、ものすごい揺れが始まりました。今度は縦に横にシェイクされる感じでした。あきらかに液晶モニターが倒れる勢いでしたので押さえながら耐えました。すると「直ちに避難してください!」の館内放送が。訓練と違って「何階の方避難してください」とか悠長な事はゆってられないみたいです。案の定非常階段は大渋滞。非常階段を下りる間にも余震が。ビルの壁にも所々ひび割れが入り、石膏ボード片が散らばっていました。

無事避難し、本来ならば各階(各社)単位で安否確認の為点呼を取ったりするべきなのですが、まったくそんな事も無く(むしろそんなスペースが無い)なし崩し的な感じ。防災としてちょっとこのあたりの準備が足りてないな、と感じました。

避難してからも2度3度余震が襲います。なかなかビルには戻れませんでした。結局2時間程してようやくビル内の安全確認が終わり、戻りました。エレベータが使えないので階段で・・・。その後は残務を落ち着け次第流れ解散に。結局定時になってしまいました。

帰りは同僚と共に北千住まで歩こうと歩き始めます。内堀を歩く頃にはもう大渋滞。仕方ありませんがペースもままなりません。お腹がすいたので蕎麦屋に入ろう!と思うも、どこもかしこも人人人。北千住で待つ同僚の奥様の情報で、北千住の食材は尽きた、途中で何か買ってきて!との声に見かけたコンビニ数件に駆け込むもまったく食べ物がありません。(それこそポテチ程度)結局上野のなじみの立ち飲み屋さんで軽く一杯ひっかけつつおつまみを食べ、再スタート。最終的に北千住まで4時間弱かかってました。

その後家までは一人で歩くかと思っていた所、友人にピックアップされそのまま友人宅へ。おじやをご馳走になりその後車で送っていただきました。ほんとありがとうございました!